2008年の阪神タイガースは、開幕5連勝を皮切りにシーズン前半で好調を維持し続け、7月9日には2位に最大13ゲーム差をつけて首位を独走していた。
阪神ファンは優勝を確信し、他球団ファンは自チームの優勝を半ば諦めていたなかで、まさか阪神が優勝を逃すことになろうとは誰も想像していなかっただろう。
この年の9月、阪神の優勝を確信して発売された「Vやねん!阪神タイガース」は、皮肉にも2008年の歴史的V逸を象徴するものとして未だに語り継がれている。
ここでは2008年に起きた阪神の歴史的V逸について、その流れを辿っていきたいと思う。
【前半戦】阪神の快進撃
前半戦の阪神は、赤星憲広、新井貴浩、金本知憲、鳥谷敬といった主要選手を中心に打線が好調で、6月にはチーム打率.307という高打率を叩き出した。
投打の噛みあいもあって、3・4月には勝率.731と大幅に貯金を作り、6月に入って2位中日が落ちていくにつれ、その差は広がっていった。7月9日には、2位で並ぶ中日と巨人に13ゲーム差をつけて首位独走状態となった。
7月9日時点の順位表
球団 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 差 |
---|---|---|---|---|---|
阪神 | 51 | 23 | 1 | .689 | – |
中日 | 38 | 36 | 3 | .514 | 13.0 |
巨人 | 39 | 37 | 2 | .513 | 13.0 |
広島 | 35 | 35 | 4 | .500 | 14.0 |
ヤクルト | 34 | 39 | 1 | .466 | 16.5 |
横浜 | 22 | 51 | 1 | .301 | 28.5 |
【後半戦】巨人の猛追撃
このまま優勝に突き進むと思われた阪神だったが、ここから巨人の猛追が始まる。
阪神は2位に13ゲーム差をつけて以降、投打が噛み合わなくなり、勝ったり負けたりを繰り返して勝率は5割を推移。7月22日に優勝マジック46が点灯したものの、8月には北京五輪で主力(藤川、新井、矢野)が抜けたこともあり、投打ともに失速して連敗を繰り返すようになった。
その間、巨人は着実に勝ち星を積み重ねていき、阪神との直接対決でも勝ち越すなどじわじわと迫っていた。9月に入ると破竹の12連勝で一気に差を詰め、9月21日にはついに最大13ゲームあった差を埋めて、ゲーム差無しの首位に並んだ(勝率は阪神が上)。
前述した「Vやねん!阪神タイガース」は9月3日に発売されており、この時点で阪神と巨人とのゲーム差は「5」。「見切り発車すぎたのでは?」という声が上がるなか、阪神ファンの不安が的中する結果となってしまった。
【最終局】残り1試合で逆転優勝
ゲーム差無しで並ばれたものの、勝率で上をいく阪神の優位は変わらず、その後も幾度となく阪神が単独首位に立った。
ところが、10月8日の巨人との直接対決に敗れ、首位陥落と同時に巨人にマジック2が点灯。その2日後、10月10日の横浜ベイスターズ戦で阪神は敗れ、巨人がヤクルトに勝利したため、巨人のペナント優勝が決定した。
この逆転劇は、1996年に広島との最大11.5ゲーム差をひっくり返した「メークドラマ」になぞらえて、「メークレジェンド」と呼ばれている。また「Vやねん!」のフレーズと共に、歴史的V逸として阪神ファンの記憶に刻まれることとなった。
おわりに
この年の重要なポイントは、何と言っても北京五輪の開催だろう。シーズン真っ只中に各チーム主力選手が離脱することの影響は計り知れず、それを最も色濃く受けたのが阪神タイガースだったように思う。
ちなみに阪神は藤川球児(投手)、矢野輝弘(捕手)、新井貴浩(一塁手)の3名が、巨人は上原浩治(投手)、阿部慎之助(捕手)の2名が代表入りしている。また、新井に関しては五輪出場により怪我の状態が悪化し、後半戦の離脱長期化や成績低迷など大きな影響となってしまった。
元々、阪神が夏場に落ちてきて、巨人が夏場に上げてくると言われていたが、そこに五輪が重なったことで明暗がよりはっきりと分かれた形だ。後半戦のチーム体力にしても、主力が抜けた時のリカバリーにしても、結局は選手層の厚さがものを言うということだろうか。
いずれにせよ、選手層の厚いチームであれば、7月頭に10ゲーム以上の差があっても逆転優勝できるということを歴史が証明している。