【巨人】高橋由伸という天才~プロ18年間の軌跡~

高橋由伸

巨人一筋18年、そのバッティングセンスとスター性から、多くのファンに愛された高橋由伸。

昨年、突然の引退からの監督就任に、球界には動揺が走った。ベテランでありながら打撃の才覚に衰えは見えず、代打一番手として活躍を続ける姿に、引退を惜しむ声が多く聞こえた。

由伸を入団当時から知る身としては、引退試合すら行われなかったことは本当に悲しいことであった。原監督の辞任、賭博問題など、球団のゴタゴタを一手に引き受けたその覚悟には男気を感じたが、これだけの偉大な選手に花道を用意してやれなかった球団に対しては残念な気持ちしかない。

巨人入団後、新人でいきなり3割19本75打点を叩き出し、その将来にはち切れんばかりの期待が膨らんだ。しかし、全力プレーが仇となって怪我に付きまとわれることとなり、いつしか”悲劇の天才”と呼ばれるようになる。

選手の魅力というのは、何も圧倒的な成績だけではない。それを体現しているのが高橋由伸という選手だろう。類まれなるセンスとスター性を兼ね備えた、彼のプロ人生について見ていきたい。

天才と呼ばれた新人時代

高橋由伸の全盛期はいつか?と聞かれたら、私は間違いなく入団1・2年目だと答えるだろう。

私自身が最も野球に夢中だった時期と重なるため、思い出補正があることは否定しないが、あの頃の由伸ほど見ていて胸の躍る選手を私は知らない。

慶応大学を卒業後、ドラフト1位で巨人に入団。開幕戦でプロ初ヒットを放つと、その後シーズン通してスタメンに定着し、1年目の新人とは思えない凄まじい成績を残した。

プロ1年目(1998年)
打率.300 本塁打19 打点76 OPS.852

大卒新人が1年目でこの成績を残したことに、当時の私がどれだけ興奮したことか。かつて長嶋茂雄が、プロ1年目に打率.305、本塁打29、打点93を記録した時のファンも似たような心境だったのかもしれない。

この成績に加え、美しいフォームと端正な顔立ちもあって人気は爆発し、オールスターのファン投票では新人史上最多の51万4351票を獲得。当時すでに球界のスターだった松井秀喜と共に、平成のWスター誕生の瞬間を目の当たりにしたのである。

松井秀喜と高橋由伸

伝説の新人王争い

プロ1年目の由伸の人気を後押ししたのが、同年に中日に入団した川上憲伸との対決である。大学時代からライバルだったふたりは、由伸がスタメンに、川上が先発ローテに定着したことで、対決がある度にメディアで報道された。

結局、この年の新人王は川上が獲得することになるが、98年のセ・リーグ新人王というと、そのレベルの高さから未だに語り継がれる伝説の年である。

1998年のセ新人王候補
川上憲伸:14勝6敗 防2.57 161.1回 111票
高橋由伸:.300 19本 76打点 OPS.852 65票
坪井智哉:.327 2本 21打点 OPS.797 12票
小林幹英:9勝6敗18S 防2.87 81.2回 5票

各々が別の年に出ていれば、全員新人王を取れていてもおかしくない成績なだけに、この年に集中してしまったことが悔やまれる。

こうした新人王争いもあり、1年目から高橋由伸の話題性は抜群であった。

飛躍を遂げた2年目

1年目にこれだけの成績を叩き出したのだから、もちろん2年目にも期待がかかる。「2年目のジンクス」と言われるように、前年の活躍から研究されて成績が落ちる選手も多い中、由伸はジンクスなど全く感じさせない成績を残した。

プロ2年目(1999年)
打率.315 本塁打34 打点98 OPS.956

新人からの二年連続3割達成は他に3人(長嶋茂雄、横田真之、坪井智哉)しかおらず、1年目からさらに一段階グレードアップした成績に、将来どれだけの選手になるのかと胸を躍らせたものだった。まさに“天才”と呼ぶに相応しい選手だったように思う。

しかし、9月14日の中日戦での守備時に、外野フェンスに激突して鎖骨を骨折。そのままシーズンを終了し、この年の出場試合数は118試合に留まった。この頃から、天才の輝かしい野球人生に陰りが見え始める。

怪我と闘いながらの現役生活

3年目、4年目とフル出場を果たしたものの、前年の怪我の影響もあって成績は伸び悩んだ。5年目にはフェンス際でのジャンプキャッチの際に左足かかとを強打して約1ヵ月半の離脱。ここから毎年のように怪我で悩まされることとなり、出場試合数も安定しなくなっていった。

恐怖の1番打者

それでも2007年には主に1番打者として133試合に出場し、キャリア最高となる35本塁打を記録するなど、チーム5年ぶりの優勝に大きく貢献した。

プロ10年目(2007)
打率.308 本塁打35 打点88 OPS.982

この年、シーズン先頭打者本塁打9本のプロ野球記録を達成した由伸は、超攻撃的1番打者として恐れられ、ようやくかつての輝かしい姿を取り戻したかに見えた。

ところが翌2008年には腰痛が再発して戦線離脱。失敗したら一生車椅子かもしれないと言われた大手術を乗り越えるも、リハビリに1年間を費やし、2009年はわずか1試合の出場に留まった。

代打の神様

もはや満身創痍でスタメン出場の機会も減っていった由伸だが、代打生活を送るようになってからも、その美しいバッティングフォームと天性のバットコントロールは健在。ここぞの場面での決勝打を積み上げていき、多くのファンの心を掴んで離さなかった。

  • 2014年代打成績
    打率.256 2本 17打点 出塁率.333
  • 2015年代打成績
    打率.395 1本 9打点 出塁率.489

2014年には代打で打点17をあげ、球団記録(1976年 柳田俊郎 18打点)にあと1点と迫る活躍を見せた。また翌年の2015年には代打出塁率.489という驚異の数字を残し、由伸が出塁して代走・鈴木尚広が盗塁を決めるという黄金パターンを確立した。

由伸が打席に立った時の声援は一際大きく、もはや「代打の神様」としてチームに欠かせない存在となっていた。

ところが2015年のオフに原監督が辞任すると、突如として由伸の引退と監督就任が発表された。ファンからするとまさに青天の霹靂であり、とても受け入れがたい事態であったが、こうして高橋由伸の18年間に渡る現役生活は幕を下ろした。

タイトル無しの悲劇の天才

通算成績、獲得タイトルともに、歴代のレジェンド達に肩を並べるものと思われた由伸だったが、結局打撃タイトルを獲得することなく現役生活を終えることとなった。目立った賞というと、ベストナイン2回、ゴールデングラブ7回くらいのもので、新人時代に期待された姿とは程遠いものとなってしまった。

主な原因は全力プレーによる守備中のケガである。怪我を繰り返すことで出場試合数が安定せず、また怪我の後遺症も響いて思うように成績を伸ばせなかった。

高橋由伸の出場試合数

高橋由伸の出場試合数

通算成績を見ても、間違いなく一流ではあるものの、期待された超一流の域には到達していない。

通算成績
打率.291 安打1753 本塁打321 打点986 OPS.872

「もし由伸の体が丈夫だったら…」というタラレバが語られるほど、天才・高橋由伸の幻想に囚われるファンは多い。新人時代の輝きが、天才的なバットコントロールから放たれる美しい放物線が、目に焼き付いて離れないのである。

度重なる怪我や、突然の引退など、悲劇に見舞われることの多かったプロ野球人生だが、それでもなお彼の残したインパクトは鮮明に脳裏に刻まれている。選手としての歩みが終わった今、今度は監督として輝きを放ってくれることを切に願いたい。高橋由伸は私の中でいつまでもスターなのだから。